Halsun's library

真実を知ると、生きることも死ぬことも、ガゼン楽しみになってきた。

世の中には様々な不幸がある。 病気、事故、犯罪、借金…… 私はちょっと特殊な犯罪の被害者です。 「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」といいます。 日本全国、さらには世界中に被害者がいます。 世の中は混沌としていますが、これからますます変わっていくでしょう。 悲観する人、期待する人、何も感じない人…… 私は期待しています。 毎日犯罪と向き合いながらも、絶望はしない。悲観もしない。 この犯罪のおかげで、目覚めることができたから。 知りたいこと、学びたいことがわいてきます。 死ぬまでにあとどのくらい真実にたどり着けるかな。。。

人の性は善でありたい。

9月に入って、
ここ数日の「付きまといレベル」が上がっています。
特に自宅周辺。

 

昨日も仕事でマンションを出た直後、脇道から車が来たと思ったら、
後ろからも、更に次の脇道からも、ワラワラやってきました。
もちろん車でふさがった狭い道の隙間をぬって人や、自転車の子供とかもね。

ここ、狭い住宅街ですけど…^^;

 

私用語でいうところの、祭りでした。

もうやんや、やんや、ですわ。


収束したり、混乱したり、
被害者の方であれば、日々の生活の中でそんな違いもよくわかると思いますが、
私は最近、「少ない・普通・多い」の中の”レベル多”です。

 

一時期はマンション内も静かだったのに、
以前のようなドンとか、ドンドンドンというタイミングのよろしい物音も
最近活発です。

 

必要な時は自転車に乗ることもありますが、

歩行時と違って、注意が必要です。
スピードの出ている自転車に寄ってくるような歩き方の歩行者もいるからです。

 

まだこの被害をはっきり認識していない頃、
夜道を自転車で走っていたら、道の真ん中を歩く小太りのおじさんがいました。


私は空いているスペースを通ろうとしていたら、急に私が通ろうとする方へ寄ってきたのです。


一瞬「!」となりました。

 

偶然という場合もありますが、

その後のおっさんの行動です。(その時の気分的に、”おっさん格下げ”です。)

 

ヒヤっとしている後ろの私に少し顔を向けてニヤっと笑ったのです。

 

「ああ、わざとなんだ。」と腹も立ちましたが、同時にやっぱり嫌がらせを受けていると認識した出来事でした。

 

 

先日は、歩道の一角に自転車用の道路がある広い歩道の、自動車道路側を走っていたのですが、

3、4歳位の子供にぶつかりそうになってヒヤっとしたことがありました。


上り坂だったので、元々スピードも出せませんから、
「ああ、あそこに子供がいるな」と思いながら自転車のペダルをこぎますが、
歩道とは逆側のこちらによたよた歩いてきます。

 

親は手を取ることもせず、ガン無視、我関せずな雰囲気でした。

 

どんなにマナーの悪い歩行者でも、対自転車となるとこちらの非を問われる可能性が高くなります。

 

ある男性被害者の方はご自身のブログで、「バイクにはもう危なくて乗れなくなった」と書いてありましたが、とてもよくわかります。

 

仕事などで、車を運転しなければならない方々は本当に大変だと思います。

 


そんな自転車に乗っている中で不思議な体験をしたことがあります。

 

先程の子供とぶつかりそうになった、自転車道路のある、大きな歩道を走っていた時です。

 

その自転車道は、歩道部分と区別する看板や、区別する為の色分けもされていますが、
仕切りがないので、平然と自転車道を歩く歩行者が多いです。

 

私が走っていると、追い越して一台のママチャリのおっちゃんが私の前に現れました。

 

最初はその人を警戒しましたが、
その人のスピードが私のスピードよりも少し速く、ちょうどいい間隔で常に私の前を走っていたので、
自然とその人の後ろをついていく状態になりました。

 

自転車の両サイドには危なっかしい歩行者がいるのですが、
私の前を走るおじさまに(気分的に”おじさま格上げ”です。)ついていく形で、
私はストレスなく運転できたのです。

 

数分の間でしたが、長い登り坂を登りきったところで、おじさまがスピードを落としたので、
私は追い抜いて行ったのですが、
その時思わず、おじさまに「ありがとう」と言いました。
(人から見たら誰に言っているかわからない、声のボリュームではありましたが。)


自転車で出かける時、ごくたま~にそんな素敵な先導さんに会うことがあります。

 

 

もうひとつは、自転車ではありませんでしたが、

人混みを歩いていて、思わぬ親切に出会ったことがありました。

 

今でもそうですが、
人混みを一人で歩くときは警戒モード全開です。


なるべく人の少ないところを歩きます。(都心だと厳しいんですけどね。)

 

とあるデパートの脇道を歩いていたら、人がたくさんいたので、「通り抜けをしよう」と一旦デパートの中に入りましたが、

まぁデパートなのでお客さんもそこそこいるわけです。


すぐに出口を見つけて、「あ、あの扉から出よう。」とそこに向かって歩いていると、右側から赤ちゃんを抱いた若い夫婦が私の前に現れました。


その後に続いたのですが、
自動ドアではなかったので、旦那さんがさっとドアを開いて奥さんを通してあげました。


私は旦那さんの後に続こうと待っていたら、
旦那さんが動きません。帽子をかぶっていた私は、「あれっ」と見上げたら、
声は出しませんでしたが、どうぞ、言わんばかりに私に向かって頭を下げたのです。

 

とっさの親切に、警戒モード全開の私には「ありがとう」の言葉が出ませんでした。

 

その時はできるだけ大きな会釈をして通るのが精一杯でした。

日々警戒心でいっぱいいっぱいの中、ほんの小さな親切に泣きそうになりました。

 


はえらく飛びますが、
私には、人生を変えた一冊の本というのがあります。

 

高校生の時に読んだ、「広島第二県女二年西組」という本です。

 

著者の関千枝子さんが、原爆で全滅したクラスメイト一人一人の遺族を取材し、
8月6日から彼女たちがどのようにして亡くなっていったのかを詳細に綴った手記です。

 

その本の中で関さんが、「人の性は善だと思う。」と語っています。

 

夏の暑い中、火傷で苦しんでいる友人。何もできなくていたたまれない関さんに、
友人の母親はうちわを探してほしいと頼まれて届けます。

 

そのうちわのことを何十年も経って、取材で再開した時にお礼を言われるのです。

 


善の真逆に悪もあります。

 

人は良い事も、悪い事も、自分がしたことは忘れがちです。


でもそれを受けた側は、何年、何十年経っても忘れないものなのだと思います。

 

だから、私は、悪い事はしない。を心がけます。

 

腹も立ちます。

 

憤りも感じます。

 

たまには独り言文句もだだ流しで言います。

 

それでも、
人の性は善でありたい。

 

強く、そう思います。

 

 

続きます。